2冊のフォトブック(記憶の引出し)

忘れずに大切に記憶したい。
そんな強い想いから作製した2冊のフォトブックがあります。



タイトルは『The Last day』と『Reproduction』。
2007年 5月29日。
8年間可愛がっていた愛兎の あずき が急に亡くなりました。



前日の夜まで元気に遊んでいたのに、日にちをまたいだ数時間後、急に倒れて息を引き取りました。心の準備も何も出来ず、ただ悲しくて涙が止まらなくて現実を受け入れられなかったのを覚えています。


翌日、わたしは朝一番でお花を買いに出かけました。クリーム色のバラ。
あとは無心に写真を撮り続けました。
この子の最期の姿を決して忘れたくない、この日を忘れたくない、と。
泣きながらシャッターを切り続け、最期の姿を記憶する作業。

その日の空の色、光、風や匂いも蘇ります。あれからもう11年も経つけれど、ページをめくればいつでもあの日に還れるタイムマシーンのような大切な写真たち。



2冊目は亡くなった翌日からの毎日の空とわたしをとりまく日常を記録したもの。
初めてのペットロスで精神的にかなり辛く、毎日泣いて目を腫らしていたのを覚えています。写真を撮り続ける事でギリギリ自分を保ってた。


写真を見ると、日が経つにつれ対象物や色に変化が。心の色が被写体に反映される面白さを知ったのもこの時がきっかけでした。



尊敬する写真家さんが『写真は記憶の装置』と仰っていましたが、わたしも本当にそう思います。自分が日々撮影しているのも同じ理由だから。



何気ない日常は当たり前じゃない。
今生きて、繋がっていられる事が奇跡。



いつでも何気ない今を思い出せるように、体温や息遣い、匂いやその時の気持ちをそっとしまっておける引き出しみたいな写真の役割。



ついデータとしてパソコンで管理してしまうけど、覚えておきたい特別な時はこうしてフォトブックにするべきだなぁと改めて思いました。



大量なデータの中に埋もれて記憶からも消えてしまったら撮影する意味がなくなってしまうから。



亡き父が生きていた頃は、毎年妹の誕生日に動画を撮影していました。ただ自宅でごはんを作ってみんなで食べる。ケーキを食べる。父が母に怒られる。時々うさぎが映る。笑ったり、くだらない話したり、全員黙々と食べてたり。



それを見ては笑って、また来年も撮ろうねと話していたけど、父が他界してからは撮影しなくなってしまいました。わたしがビデオカメラマンを辞めて撮影から遠ざかったせいもありますが、



何となく寂しくて…撮影したり過去の動画を見たりする気持ちになれなかったから、自然と家族の年中行事から消えてしまいました。




写真もビデオも、
何気ない日常や幸せだった1日を忘れずに保存できる素晴らしいツール。




昔ビデオカメラマンだった頃ブライダルをメインでやっていたのですが、何十年か後に今目の前に居る新郎新婦のお子さんやお孫さん達と幸せそうに見てもらえるようにと願いを込めて撮影していました。ビデオはワインのように年月を重ねて、記憶のタイムマシーンとしての価値が出ると信じていました。だからこそ夢中になれたし、精一杯頑張れた大好きな仕事でした。



記憶を記録する。
生きてきた証、繋がってる証。
いつもいつでも大切な絆や大切な思い出を思い出せるのは素晴らしい事。


わたしが好きな、写真や映像の側面の一つです。



もう一つの側面は表現する媒体としての側面。それについてはまた次回書きたいと思います。


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