撮影よもやま話① 苦境編。
こんにちは。Riraです。
わたしはプロのビデオカメラマンとして6年間勤務経験があり、撮影は得意(楽しい)だけど撮影される事には強い苦手意識(恥ずかしい)がありました。
それがある日、思いがけないきっかけから撮影される側にチェンジとなり…。
被写体のどの角度が美しいか、どんな魅力的な表情や仕草を捉えようか夢中になっていたのが真逆の立場に。
撮られる側にとって重要なのが
表情とポージング。
やった事無いから引き出しがカラっぽ。しかも苦手意識があったのでマイナスの状態からのスタートでした。
最初の撮影は恥ずかしさを感じないように『笑顔は無し』で、Themaは『人外の者』。人でない、神か精霊か、掴み所のないものを表現するお題でのトライ。
この時の自分の内にあったイメージとカメラマンさんの感性や技術、光や風景、カメラの特性が上手く融合して素敵な作品になりました。偶然が生んだ奇跡だったのかもしれません。
この時は長年やっていたバレエやベリーダンスの動きからポーズを拾うだけで、ポージングに対し何か準備して臨んだ訳ではありませんでした。
その後も様々な撮影を重ねていくうちに徐々に引き出しの無さで壁に突き当たるようになりました。
バレエ的なポーズに依存しすぎて違和感やマンネリを感じられてしまうように。メイクに関してもワンパターンで我流のステージメイクした出来なかったので指摘を受けました。
指摘を受けても具体的にどうやって変えたら良いのか分からず、メイクやポージングの画像を毎日沢山見て真似したり、尊敬するダンサーのアーティスト写真を参考にしてみたり、自分なりに試行錯誤しました。それでもやはりなかなか上手くいかず、何度も何度もできない辛さから苦しい思いを味わいました。
今考えると、付け焼き刃で人真似をしても元々自分のものではないからしっくり来る訳がない。習得するには、悩んだり苦しんだりしながら模索して時間をかけて自分に合う形を見極めながら身につけていくものなのだと理解しました。(わたしの場合は、ですが。)
あの頃のわたしは…
幼い頃から踊ってきたので、つい無意識にバレエ的なポーズを取ってしまう。要求されるイメージが作れず、悔しくて情けなく、『出来ない』負のローテーションの中で追い詰められて、バレエの経験自体を邪魔に感じて苛立つ荒れた時期もありました。
出来ない自分が情けなく惨めでやめて逃げ出したくなる事もしょっちゅう。
撮影中に思うようにできず気持ちが落ちて、暗く歪んだ表情ばかりのカットになって迷惑を掛けてしまう事も何度もありました。
でも気がつくと、あれから4年が過ぎようとしています。
石の上にも3年と言いますが、辛くても辞めずに続けると、行きつ戻りつでも、少しずつ前に進めるのだと知りました。苦しんだ分、撮影から沢山の表現法を学び、自分のダンスへのアプローチも変化しました。
写真=静
ダンス=動
対極的ですが、静の連続で動になります。写真に関わったからこそ、『軌跡』や『残像』へのこだわりが生まれました。
ですが、未だにポージングは難しいです。
あの頃に比べればはるかに早いペースで違うポーズ(バレエに依存しない)ができるようになりましたが、微妙な頭の角度や身体のラインの見せ方はダンスの美しいとされる重心やラインより微妙にズレていて、今はそのズレの振り幅を模索しています。
ほんの数ミリ、数センチのズレで身体のラインや光の当たり方が変わるのでいつも同じ正解ではないし、身体の癖や表情の癖に流されないように気をつけています。
身体中に意識をアンテナみたいに張り巡らせてポージングをしている自分と、撮影者の立場で自分を客観視しているもう1人の自分の間で、外見の表現と内面の表現を右往左往している自分が居ます。
モデルとダンサーは身体で表現するという括りで言うと同じカテゴリー。
ダンスのように動きと音楽に助けて貰えず、一枚の一瞬で表現する写真は難しいけれど、他人(カメラマン)が捉えた一瞬にいのちが吹きこまれたような一枚に出会えた時は本当に嬉しく、自分1人では表現出来ない域に行ける得難い感覚がありますね。
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