たいせつなもの
2月18日。晴れ。
寒さが少し和らいで、日差しが春みたい。
たいせつなものについて、想う。
自分が生きている原動力であり、ハートの部分。
たいせつなものが解っていて、たいせつだと感じられる事はしあわせだ。
近くても遠くても、
変わらず想っていられる事はしあわせだ。もうすぐ祖母の命日だなぁ、と思いを馳せる。
あの日、2月の寒い夜。
旅立つ祖母の手を握りながら泣いた。
病院の無機質な小さな部屋で、
蛍光灯の灯りの下で。
モニターのグラフがどんどん緩慢になって行き、じわじわと指先から死が歩み寄ってきて、ゾッとするくらい冷たくなっていく。
大きく吸った後、ゆっくりと祖母の息が止まった瞬間を今も忘れない。
人の死を間近に見たのは祖母が初めてで、
自らの姿をもって死というものが何なのか教えてくれたのだと思った。
悲しさや寂しさや取り返しのつかない絶望感、何も出来ない無力さなど、色々な感情がごちゃまぜになってどうしていいか分からなくて外に飛び出してまた泣いた。耐えきれなくて、介護職の友人に電話した。友人はただ黙って話を聞いてくれた。死と隣り合わせの仕事をしているからこそ、解ってくれる想いがあったと思う。
お葬式では写真を沢山撮った。
最期の姿を忘れたくなかった。
物心つく前から沢山撫でてくれたしわしわのやわらかい手も、花に囲まれて穏やかに眠っている寝顔も。大好きな祖母の姿を少しでも形にして留めておきたかった。
その年は立て続けに従兄弟が亡くなり、叔父が亡くなり、父が亡くなり…いのちのあやうさと儚さを思い知った年になった。人生の中で本当に、辛い時期だった。
父が亡くなった時、数日後にバレエの舞台があった。父が救命病棟に入院している時もレッスンやリハーサルを縫って家族でお見舞いに通った。助かる見込みは無く、行く度に絶望感しかなくて、それでも奇跡は起こらないかと家族みんながどこかで期待していた。だけどそんな願いも虚しく、7月4日の明け方…(空が朝焼けでびっくりする程赤い日だった)父は旅立って行った。
父を見送って数日後、舞台。
あの時妹と踊ったデュオは今でも忘れられない。毎日寝不足で、いつ病院から呼出が来るか緊張の連続で、だけど舞台に穴は開けられず練習はする。わたしは自主練で左足を酷く捻挫し、テーピングと痛み止めで踊った。無茶な状況でもやはり、踊ることによって救われる。ある種のカタルシスなのかもしれない。
大切な人との別れ、可愛がっていた動物が死んでしまった時、思い返すといつも踊っていたと思う。人や動物との絆、そして踊る事が自分の生きる原動力なんだなぁと改めて想う。
辛い時も、たいせつなものと真摯に向き合う事。向き合えば、少しだけ前を向けるし、時間が経って振り返れば温かな気持ちになれる事もある。
一時の感情に流されて自暴自棄にならない事は本当に大事だ。
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