道標

暖かな土曜日。小春日和。
ダンス練と日舞のお稽古。



今日は郊外クラスでベリーダンスのお仕事の予定が、例のウィルスの影響で休講。
会場はドタキャン出来ない為、自主練に充てる。



YouTube動画で、好きなダンサーの振付を完コピ。難しすぎてなかなか覚えられない。



繰り返し練習するも、動画を撮って確認したらあまりにも無様で心折れそうになる。



振付は、覚えるのも大変だけど
覚えた後が更に大変だ。



振付を覚えるまでが料理で言うと『材料を揃えた』ところで、きちんと人前に出せる状態にするには…もっと過酷な工程が待ってる訳だ。この工程で、嫌と言う程『出来ない自分』と向き合う事になる。料理で言うなら、材料を切り、煮炊きし、味付けをして、器に盛り付ける。そうしてやっと人前に出せると言う事になる。終わりは果てしなく遠く、目眩がする。


とりあえず、少しずつ取り組んでいく。
曲を遅くして、数秒単位でゆっくり確認し、
繰り返し繰り返し、動きをなぞる。


だけど振付をコピーしていくだけでは全然近づけない…。動きの上っ面をなぞってるだけで全くフィットしない。


例えば、
微かな角度の違いや、気付かないレベルで入れられている細かなアイソレーションや、足の裏の重心の位置や、足指、手先、肘、首の使い方の違いなど。そこから一つ一つ見直していかないと、振付として成り立っていかない。


ここ数日はそれらをカバーする為に基礎の前段階の確認や各パーツ毎のアイソレーション練にも取り組んでいる。音楽に綺麗に重なった感情表現やドラマチックな動きは、上部だけなぞっても説得力がないし、何より動きの辻褄が合わなくなってしまう。


全く先が見えず、前に進めない状況に、『1ミリも踊れるようになる気がしない』と、何度も心折れそうになる。



やや凹んだ気持ちで会場を出て、日舞のお稽古へ。1月の発表会が終わって、新しい曲に取り組んでいるところだ。『寿』という、古典の華やかな曲。


日舞もずっと慣れない内股での足運びや重心移動、胸の使い方、首の付け方、あれやこれやともやもやしていたけど、ようやく最近少し『乗れてる』感覚が芽生え始めた。


とは言っても、相変わらず『出来ない』には変わりないんだけど。
お稽古の後先生とお茶を頂きながらお話をした。


すると先生もわたしと同じような事を仰っておられた。自分の踊りが嫌いで、少しでも上手くなりたくて、教えを乞うたり練習をするのだと…。


わたしが7歳から今まで踊りを続けて来たのは、楽しいからとは少し違う。才能がある訳でも、上手い訳でもなく、『出来ない』から。これに尽きる。


わたしに何か取り柄があるとしたら、『自分の下手さに苛立ったり失望しても、やめないしぶとさがある』事だと思う。



『自分の踊りに満足出来ないからやめられないのよねぇ。』



そう言って先生はにっこり笑った。
『ああ、だからわたしはこの先生を選んだんだなぁ』と、ほっこり心が緩む。



人生と踊りの大先輩の先生も同じような気持ちを抱えて自分と向き合う事を続けておられる。


とても勇気が頂けるし、信頼出来る道標だ。

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